rainy day, I burdened with the world
さて今日は小学生のカンニングについて熱く語ろうと考えていたのだが、こんな時間だし、考えもうまくまとまらないので、途中まで書いて消した。
まぁ簡単に言いたかったことを言うと、
小学生でカンニングするやつが多い。
俺はそれを見るとすごく心が痛む。
怒りではない。
小学生のそれは大学生がやる私利私欲からする行為とはまた別物に思えるからだ。
彼らは受験と言う波に幼いながらにして巻き込まれ意味もわからないまま勉強させられる。
テストでいい点をとれば親に、先生に褒められる。
だからカンニングする。だってそうだろう自分のためを思っていたらそんなことをするはずがない。
俺にはその悪いことだとわかっているのに、親を喜ばすため、先生に褒められるため、やってしまうその行為が、欲求の程度は違えど、飢餓で苦しむ孤児が、パン屋でパンを盗んでしまう行為に似ているのではないかとさえ思えてしまうのだ。
だとしたら子供にそんな精神的矛盾から来る苦痛を与えてしまうこの社会こそ、糞ではないか。
実際これはよく言われていることである。
しかし小さい紙に小さい字で書いたカンペを腕時計に貼り付けてみていたりする、その現状を目の当たりにすると何かいわずにはいられなかった。
とかなんとか書いているうちに、結局簡単にまとまらなくなった。
つまり今日言いたかったのはこういうことだ。
さて話は180度とちょっとぐらい変わって、今日は久々に社員会議に出席した。
本当に久々だった。
みんな元気そうでなによりだった。
いろいろ話した結果「アレはアレするとアレになる」という結論に達し、なんと課長がアレを実行してしまった。
まさに予想外だったので、俺と社長はただ立ち尽くすしかなかった。
アレは危険すぎる。
俺は今後アレについて考えることさえも控えようと心に誓った。